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【作文・小論文】「ら」抜き言葉はなんで(乂’ω’)ダメ?

2024.02.03

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こんにちは。家庭教師Camp事務局です。

作文の授業などで「ら抜き言葉」を使用し、先生に注意された経験はあるでしょうか。

「ら抜き言葉」とは、可能の意味の「見られる」「来られる」等を「見れる」「来れる」のように言う言い方のことです。
「ら抜き言葉」は現在の日本語の規範文法では誤りとされているため、作文などでこの「ら抜き言葉」を使うと、先生に注意されてしまいます。
しかし、普段の会話では「ら抜き言葉」は多く使われています。普段友達と喋るときには、「ら抜き言葉」をたくさん使うという人もいるでしょう。「見(ら)れる」「出(ら)れる」などの語では、「ら抜き」を使う方が多かったという調査結果もあります。
ではなぜここまで「ら抜き言葉」は、広く使われるようになったのでしょうか

一つ目の理由として挙げられるのは、可能と受身の意味を区別するためです。例えば、「僕は見られる。」という文では、「僕は、見ることができる。」と「僕は、(誰かに)見られる。」という2通りの解釈が可能です。そこで、可能の意味のときには、「僕は見れる。」のように「ら抜き」にすることで、この2つの意味を区別できるようになります。これが、一つ目の理由です。

二つ目の理由としては、可能と尊敬の意味を区別するため、というのが挙げられます。「先生は見られますか。」という文では、「(尊敬の意味を込めて)先生は見ますか。」と「先生は見ることができますか。」という2通りの解釈が可能です。これも、1つ目の理由と同様に、可能の意味のときには、「先生は見れますか。」のように「ら抜き」にすることで、この2つの意味を区別できるようになります。

三つ目の理由は、「ら抜き言葉」はパターンを揃える自然な流れというものです。
五段活用(子音終了型)動詞における可能表現は以下のようになります。
取る→取れる 走る→走れる
五段活用(子音終了型)動詞では、「取られる、走られる」といった表現が短くなり、「ら」が落ちた「取れる、走れる」という形で定着しました。

一方の一段活用(母音終了型)動詞では、可能表現は以下のようになります。
食べる→食べられる 着る→着られる
一段活用(母音終了型)動詞では、「ら」が落ちた「食べれる、着れる」という形は、「誤り」であるとされています。

五段活用(子音終了型)動詞では、「ら」を落とした形は認められているのに、一段活用(母音終了型)動詞では、「ら」を落とした形は認められていません。五段活用(子音終了型)動詞と一段活用(母音終了型)動詞で形を揃えるため、というのが3つ目の理由です。

ただし、「考えれる」や「忘れれる」などといった表現には、違和感があると感じる人も多いようです。上で述べたような理由は、全ての語に当てはまるわけではない点に注意しましょう。

「言葉は生き物である。」とよく言われます。言葉が絶えず変化している様を生き物になぞらえて表現したものです。今回紹介した「ら抜き言葉」もまさにその例です。このような言葉の変化は、「言葉の乱れ」であるとして、しばしば批判にさらされます。しかし、言葉の変化は常に起こりうるものであり、それを単に「言葉の乱れ」だとして、批判するのは避けるべきだと私は考えています。

冒頭でも述べましたが、現在の日本語規範文法では、「ら抜きことば」は「誤り」であるとされています。作文や小論文を書く時には「ら」を抜かない形で書くように心がけましょう。

参考文献
朴宰怜 (2015) 「「ら抜きことば」の発展の様相とその実態」『一橋日本語教育研究』3: 97-102
文化庁. 言葉遣いに関すること. https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/20/tosin03/09.html (最終閲覧日: 2024/01/27)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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